和心紡ブログ

夕方

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 今日は 午前中急きょ東京駅で打ち合わせになり 打ち合わせ終了後 熱海に戻

り 夕方から 2件の打ち合わせをしました。

 夕方 画像には有りませんが 土砂降りの雨と 雷が 凄かったです!!
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東京駅

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 午前中 静岡駅で待ち合わせの予定でしたが 急きょ 先方の都合で 東京駅に

変更になり 東京駅へ行ってきました!!東京は 兎に角 暑い!!

 打ち合わせ後 寄り道をしないで 伊豆へ帰って来ました。伊豆も 暑いですが

東京ほどでは有りません!!助かります。

 そう言えば 日曜日 レベッカというバンドの番組をやってましたが そのボー

カルの女性の家が 和心紡が借りている熱海のアパートの近くです(約50m)。番

組内で出る 景色(砂浜等)は 本当に近所のところばかりでした。
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エピソード ① 人名じゃないの?

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 私は 東京で生まれ育ちました。勉強はまるっきりできなく いつも 下から数

えた方が早く 通信簿は「1,2,1,2」3以上ってあるの?という賢さで 軍隊の行

進みたいだと友人達から笑われた程です。

 ただ 友人は結構いました(悪友ですけど)。調理師専門学校を卒業後 一念発

起して 東京を離れ 静岡県伊豆へ 修業に出ました!!東京に居たのでは 遊んで

しまい修業にはならないと思ったのも事実です。

 伊豆の伊東市にある大きな旅館に入社しました。確か 初任給は¥30,000位だと

思います。最初のボーナスは¥3,000だったと記憶しています。そんな 私に与え

られた最初の仕事は 追い回しと言って 簡単に言えば先輩たちの手足になる事で

す。

 入社1週間くらいの話です。先輩に あれを持って来いと言われれば 他の若い衆

より早く持っていこうと頑張っていた時 ある先輩から 「みやじま」を持って来

いと言われ 他の若い衆には負けまいと とにかく「はい」と元気な返事で 道具

がおいて有る所までは急いで行くのですが 「みやじま」?って何?と思って探し

ているうちに 先輩にはまだか?と怒鳴られ催促を受けますが 物がわからない私

には見つかるはずもありまん。調理場の先輩方の名前もまだ覚えていない時だった

ので もしかしたら 先輩に 宮島さんという方がいるのではと思いひとりひとり

に名前を聞いて廻りました。

 それを見ていた 用を頼んだ先輩は あきれ顔 大山「みやじま」はこれだと

自ら取ってきて見せてくれました。それを見た 私は「しゃもじ」の事?と思い

自らの無知さに呆れました。

 「みやじま」以外にも 「まつうら」(笊の一種)などなど 人と似た名前の道

具には 悩ませられました。
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エピソード

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 このような仕事をしていると 皆様に 「先生」「師範」などと呼ばれます。

 落ちこぼれだった子供のころ 「くず うっすら 不器用」と言われた 修業時

代 自分なりには一生懸命やっていましたが なかなか技術は身につかず 一緒に

入った若い衆の中では いつも 一番最後に 何とか形になる程度の技術しかない

若い衆時代でした。

 そんな 私が 今は 皆さんに 先生などと呼ばれると 誰の事を言っているの

かと 返事が出来なかったり 又 そう言う風に呼ばせてしまって 申し訳ないと

も思います。

 そんな わたしを 見切らず可愛がってくれた先輩方がいた事も事実です。私は

その先輩達だけは どんなことが有っても 絶対に裏切らないと 心に決めて 料

理道を歩んできました。

 今 私がこのような仕事が出来ているのも 応援してくれた先輩方や 和心紡を

設立してから 可愛がっていただいている 先生 社長たちのおかげだと思ってい

ます。後 和心紡お得意様方も 一緒です。私は お得意様を 同志と思っており

時には失礼な事も言いますが 頑張って欲しいとの思いから言っている事をご理解

して頂きたいです。

 これから ブログで 私が 経験したエピソード(実話)をブログで紹介しよう

と 思ったのは お得意様からの助言があったからです!!失敗続きからの 成功の

実体験です!!
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